2008年01月16日
今これが起こったら…
シャレになりませぬ。
関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日午前11時58分32秒(以下日本時間)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生した海溝型の大地震(関東地震)による災害。東京都・神奈川県・千葉県・静岡県の南関東地方の広い範囲に甚大な被害をもたらした。
また、関東大震災というと、関東地方を襲った大地震による災害(震災)の総称ともなるが、一般的には、1923年発生の関東大震災を指す事が多く、本項でも1923年の関東大震災について述べる。
地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生した。加えて能登半島付近に位置していた台風により、関東地方全域で風が吹いていたことが当時の天気図で確認できる。火災は地震発生時の強風に煽られ、「陸軍本所被服廠跡地惨事」で知られる火災旋風を引き起こしながら広まり、鎮火したのは2日後の9月3日午前10時頃とされている。
建造物の被害としては、凌雲閣(浅草十二階)が大破し、建設中だった丸の内の内外ビルディングが損壊。また、大蔵省、文部省、内務省、外務省、警視庁など官公庁の建物や、帝国劇場、三越日本橋本店など、文化・商業施設の多くが焼失した。神田神保町や東京帝国大学図書館、松廼舎文庫も類焼し、多くの貴重な書籍群が失われた。
なお、地震以後も気象観測を続けた東京の中央気象台では、1日21時頃から異常な高温となり、翌2日未明には最高気温46.4度を観測している[1]。 この頃、気象台には大規模な火災が次第に迫り、ついに気象台の本館にも引火して焼失していた。気象記録としては抹消されているものの、火災の激しさを示すエピソードである。
190万人が被災、10万5千人余が死亡(あるいは行方不明)した。建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2千余棟である。地震の揺れによる建物倒壊などの圧死があるものの、強風を伴なった火災による死傷者が多くを占めた。津波の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録された。山崩れや崖崩れ、それに伴なう土石流による家屋の流失・埋没の被害は神奈川県の山間部から西部下流域にかけて発生した。特に神奈川県根府川村(現、小田原市の一部)の根府川駅ではその時ちょうど通りかかっていた列車が駅舎・ホームもろとも土石流により海中に転落し、100人以上の死者を出したといわれ、更に村も山崩れにより壊滅したという。また、避暑に郊外へ来ていた皇族からも3名の死者が出ており、小田原では閑院宮御別邸が倒壊し寛子女王(17歳)が下敷きとなられて薨去、また藤沢で東久邇宮家の師正王(6歳)が避暑先の別荘の倒壊で薨去、鎌倉では山階宮武彦王妃の佐紀子女王(20歳)が別邸の倒壊により薨去された。
なお、理科年表では、震災後から2005年度版まで、死者数や倒壊件数などの被害を、現在推定される数値よりかなり多い値で掲載していた。これは震災から2年後に総められた「震災予防調査会報告」に基づいた数値であったが、近年になり武村雅之らの調べによって、重複して数えられているデータがかなり多い可能性が指摘され、その説が学界にも定着したため、2006年度版から修正されることになった。
(以上、ウィキペディアより引用)
もうすぐ100年経ちますねー。。
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